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―主よ、何処へ行かれるのですか? ―万軍の主って正しく将軍様のことだよね。
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■ここ数日ご無沙汰していたのは、祖父の納骨と、そのついでに帰省していたことによる。以下、葬式と納骨についての話。気持ち悪い人は見ないほうが良いかもしれない。


■小豆島は奈良より実に5時間もかかる場所にある。近年は大阪港より出る高速艇も廃止され、姫路か日生、或いは岡山よりフェリーに乗らねばならず、大変不便になった。その小豆島に、祖父母の家はある。坂本家の「母屋」と呼ばれる本家も相当昔から小豆島にあるらしい。一体何故この島に人が住み着いたのかはよく知らないが、大方漁民か海賊か、そうでなければ落人かといったところであろう。現に祖母の家は和歌山より徳島に落ち延びたらしく、鎧兜もあるのだとか聞く。辺鄙な場所に住む者には何かしらの理由があるのだろう。さて、そんな島で、今回の五十日祭と納骨は行われた。

■まず祖父の霊は、かつての生活を惜しむべく入っていた仮の御霊屋より、祭主の「おぉ~」という低い声と共に先祖代々の社に移された。この儀式は仏式の通夜に当たる「御霊移し」の儀式と似たようなものである。御霊移しのときは部屋も暗くされ、祭主がやはり「おぉ~」という低い声を終始あげながら、祖父の体の側から仮の御霊屋へと蝋燭を運んだのだが、そのとき私は不思議にも、本当にそこに祖父の霊があり、確かに御霊屋へと入っていくのを感じた。しかしどういうわけか、五十日祭のときはあまり明確には感じられなかった。多分祖父の霊は御霊屋に入ったのだろうし、何となくそんな気はしたのだが、御霊移しのときの様な存在感がなかったのである。

■その後、祖父の骨は布製の袋に入れられて、墓の中に納められた。何でも骨壷に入れておくよりも早く成仏するということだが、あいにく墓は神道式で、奥津城といった方が解り易い様な具合である。成仏も何も、仏にはならないだろう。そしてなにより、納骨までは骨壷に入っていた理由が分からなかった。関東では、そもそも骨上げで全身の骨を壷に納めるし、その壷は更に墓に納められる。ところが、関西では一部の骨しか上げないし、墓に納めるときは骨壷から出してしまうのだ。してみると、骨壷なんて要らなかったようにも思える。
「骨壷とは何だったのか」
ひとつ論文のテーマになりそうである。いや、明らかにならないけど。ついでにそんなの書かないけど。民俗学の人なんかにお任せしようと思います。なんせ、自分、官僚養成学校の人間なんで解らないんすよ。いや、自分そういうのよくわかんないっすよ。マジリスペクトっていうか。そんな冗談はさておき、墓は閉じられ、祭主が詞をあげて、納骨を含め一連の儀式は終了した。


■斯くして私の祖父は、完全に姿を消してしまったのである。死んだばかりのときは目も開いており、ひょっとしたら動き出すのではないかと思えた。家に安置したときには目を閉じてもらっていたが、動き出すような気がした。もっとも、文字通りピクリとも動かない様はやはり死を実感させるものではあったのだが、しかしそれでもやはり、死を実感できないところがあったといえばそうだ。私は祖父が決定的にもう戻ってこない存在であることを悟ったのは、出棺の直前であった。

■私はそのとき、もうこれが最後だからと思い祖父の肌に触れたのだが、その感触は生き物肌ではなかった。動物を撫でたことがある人なら解ると思うが、生きている動物の肌は弾力があるし、柔らかく、同じ革とはいえ、皮革製品とはまったく異なるものである。果たして、祖父の皮膚の触感は、皮革製品のようだった。皮革製品の触感は死そのものなのである。私は勿論祖父の死を悲しんでいたが、その中にゾッとするようなものを感じた。祖父の内実が変わり果てたものであることを知ったのが恐ろしかったのである。

■その後、祖父の遺体は火葬され、骨になってしまった。私よりも死の衝撃が大きかったであろう祖父の実子である父でさえも、流石に骨になったのを見ると諦めがつくと言っていた。まったくその通りで、私も骨を見たときにはなんだか清々とした気分になったものだ。ああ、これは仕方の無いことなんだな、という感じである。しかし、骨になってもなお祖父は、かつて祖父が設計にこだわり様々な注文をつけて建てた家に留まっていた。そのことは何かしら慰めでもあったし、辛うじて死者と我々を繋ぐ縁であった気がする。その骨が、地中に埋められてしまったのだ。もはや祖父の死を悼む時間は終わり、日常に戻る日が来たのかもしれない。いや、その。普段一緒に暮らしていたわけではない私は、疾うに日常を取り戻してはいたのだが、改めて生きた人間だけの世界に帰ってきたのだと実感した。故郷は遠くにありて想うものと言うが、彼岸はただただ遠いのみで、やはり生者が想うべきものではない。そのために、斯くの如き儀式が考えられ、我々の意識を此岸へと呼び戻すのだろうか。そんなことを考えながら、私は島を離れた。祖母も脚が悪いので、そのうち父か伯母の家の近くで暮らすのではないかという話もある。してみると、祖父の死とともに、我が家の島は本当に遠いものになってしまったのかもしれない。

■故郷はどこか、と聞かれたとき、また一つ答えにくくなったような気がする。或いは、逆か―と、遥か東京にて思うのである。

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 ■今日は朝一番に駒場の教務課に泣きついて修了証明書を出してもらい、その後霞ヶ関の法務省に旧司法試験の願書を貰いに行ってきた。霞ヶ関の建物は何れも威圧するが如く聳え立ち、またそのコンクリート率の高さに少々気が萎える所もあり息も絶え絶えであったが、辛うじて法務所の建物につくと警備員さんが案内してくれた。官庁の警備員は皆とても丁寧で、一々敬礼してくれるので気分が良い。斯くして私は願書を手に入れたのだが、そこで空腹が襲ってきた。


■霞ヶ関は官庁街である。あまり食事を摂れそうな所はない。しかし、そんなコンクリートジャングルにぽつんと瀟洒な建物がある。法曹会館だ。実は法曹会館にも用事などないのだが、そこにレストランの看板が出ていた。どうも洋食屋らしい。私は洋食等滅多に食べないのだが、たまにはこういうのも悪く無いだろう。早速入店して田舎風オムレツ(ライス・サラダ付 780円)を頼んでみたのだが、これが美味しい。卵がとてもふんわりとしていて味付けも優しく、食べていると何か幸せな気分になれた。店の雰囲気も落ち着いているし、サラダもイカ等入っていてこれまた中々。問題は、そんな落ち着いた空間に私がいて場違いではないかと言うことであるが、こちらも空腹に耐えかねていたのだ。緊急避難として見逃して欲しい。


■明日は住民票、写真(5×4 カラー)、収入印紙を得てから霞ヶ関に持参しようと思う。当日消印有効だが、やはり不安も残る。今度は580円のカレーライスを食べようかな、なんて考えると今から少し楽しみだ。そして私の財布は確実に軽くなっていくのであった。誰だ、今月金が余っているなんていった奴は。


■今日の日記はそれなりに体裁が取れているではないか。やはり、外に出ると書きやすいものだな。してみると、日記の質と更新頻度は生活の健全度を教えてくれるのかもしれない。尤も、健全な日記ってつまらない気もしますが。

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 ■どうもTwitterがあると妄言をそちらに垂れ流してしまいますな。何と言うか、妄言垂れ流しコストが低いというか、blogにするには良く練られた妄言にせねばならないという、妄言らしからぬ苦労が伴うが故に。しかも最近妄言力が落ちていた。もうちょっと解りやすい表現をするならば、何となく疲れが抜けない状態であったので、どうにも文章が書けなかった。普段は呼吸をするように文章を書いているのだが、まぁ実際喘息の発作を起こして呼吸困難だったので仕方がないか。


■そうそう、フィロソフィアのホームページアドレスを貼り付けてくれという頼みがあったのでここに記しておこうと思う。なんせ宣伝もしていないし、殆ど更新もしないしで中々検索にも引っかからないようなので、こういう比較的引っかかるところからリンクしておかねばならないのでしょう。ということで、フィロソフィアの暫定ウェブサイトはこちらpmixture.web.fc2.com/ 。pdf版の「あぺんでぃくす!」にはけいおん!の挿入歌「ふわふわ時間」の各国語訳なども載っておりオススメ。


■祖父が死んだと先日書いたが、今度は父親が入院したらしい。まぁどうも胆石らしいのでそれほど大事と言うわけではないようなのだが、あまりちょくちょく親戚が入院して、その都度呼び出されても困るものがある。試験中に何度も召還されて影響のない学部ならばいいのだが、生憎法学部は学部の成績がそのまま人生に直結してしまうのだ。やれ、困った困った。ついでに疲れた。

■ま、疲れたからどうというわけでもないんですけどね。妄言力が下がって寝込んで、ただでさえこれっぽっちも持っていない今後の希望があっさりマイナスに転じるだけか。実に耐久力のない精神で申し訳ありません。反省してま~す(代表よろしく)


■あ、私としては国母選手は怒られて当然とはいえ、本国召還とか抜かしている奴は自分の品格を疑った方が良いと思いました。人の悪口で飯食ってんじゃねぇよ。

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 ■近頃日記を書かなくなったなぁと思ったがそれもそのはず。ここ数日家から出た記憶が殆どない。恐らく土曜日に原典研究所に行っただけだろう。どうも家にこもっていると日記が書けなくなる。これは何を意味するのか。


■恐らく書くことが見つからないという意味ではないだろう。別に普段の生活も大学との往復だし、大学生活に特筆すべきことなどそう多くはない。しかしながらどうも日記を書く気になるためには、どういうわけか外部からの刺激が必要なようである。確かに、家にこもっていると精神活動が鈍くなるような気はする。そうすると外に出るのが面倒になり、益々引き籠るという悪循環だ。それを不快と思っているわけではないが、どう考えたって良いことではなかろう。


■かつてはバイトなんかしていたりして忙しくしていたものだが、流石にもう働きたくないというか、普通働いていりゃ良いことも多少はあるのだろうけど、私は本当にロクな記憶がない。それはお前が悪いんだろうといえばそうなのだけど、そのことは私が致命的にあの手の労働に適していないということを意味しているのかもしれない。こういうのを社会不適合と言うのだろう。甘えんなと言われても、事実を述べているだけなのである。単純労働も嫌いじゃないが、生憎未だに膝と腰が痛くて歩くのが辛いのもしばしばだ。そもそも、法学やりながら原典研究所に通いつつ、アルバイトをするというのは少々の無理があるような気がする。土日動けないような人間は不要だから仕方ないが、私はやはり勉強したいのだ。


■そうすると、やれ勉強も良いが社会を知ることも大事だとか、コミュ力を云々されるのは目に見えている。或いは私の被害妄想なのかもしれないが、そうでないとすれば、どうして皆あそこまで学業をおろそかにして(まさか大学の「教養」程度で満足するわけではあるまい?)働くのか説明がつかない。物欲のためかもしれないが、そんなものの為に自らの時間を切り売りできるのだろうか。また或いは、社会から認められている気がするからという人もいるだろう。私もその口だったが、結果からすると物の見事にテメェはいらねえょクズが、ということだった。まぁ、事実なのだろう。


■昔私が読んだ本の中に時間の作り方と言うものがあった。内容は、時間を作りたければバイトなんかせず、人間関係も程々に切って専心することだ、というものである。そうしたところ筆者は「いやー、君は色々身につけられる時間があっていいね。私なんか―」と良く声をかけられたものだ、とそんな具合。当時私は何をバカなことを、と思った。しかし今になって思うと私も同じようなことをして、同じような評価を受けている気がする。だから幸せだ、というわけではない。これはどう考えたって良いことじゃない。なんせ、普通の人が享受できたであろう物を捨てざるを得ず、代わりとして知識を得たり、物事を考えたり出来ただけのこと。それで社会から変なやつとして排斥されるとなれば、マイナスもいいところだろう。尤も、筆者はそれで大きな収入を得たらしいので構わないのだろうけども、その途上というのはやはり楽しいものではない。


■そういうわけで、私は自分のような生き方を否定するつもりはないが、かといって推奨することもできない。私は偶々フツーにやることができなくて、フツーを嫌いながらもフツーに憧れ、無様な体を晒しているが、正しく<普通>の人にとって「フツーにやる」ことは最も容易な道であるはずだ。それでいて安全な道なのだから、それを採らない訳があろうか。わざわざ賭けをやる必要はない。ただ賭けをやらざるを得ないだけなのだ。


■ただまぁ付言しておくと、今の世の中フツーの道からうっかり外れたら死ぬしかないので、その点は気をつけてください。また一度疑いを抱くともう絶望しか待っていないと思うけど、それも気をつけてください。加之、最近ではフツーの道が崩壊しつつあり、更に言うならば、<普通>の人が最終的に勝つかと言えば、単に異常な道の方が辛く、フツーの方が無難と言っているだけのことなので、その辺りは異常者、例外者の微かな希望といえましょうか。まぁそりゃ、希望がなければとっとと死んでいるわけですが。

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 ■前々から書いていたとおり、祖父の具合が悪いということで見舞いに行ってきました。では何故帰ってくるのに時間がかかったかと言えば、見舞いに行った日に病状が急激に悪化してそのまま死んでしまったからです。参ったね。もう1週間くらい持ちそうな具合だったのに。病理解剖しても死因は「衰弱」だったそうで、絶食で体力を失うと怖いことになるものです。ちなみに、祖父はどうみても信じているようには見えなかったのですが、親が信じていたということで葬儀は天理教で行われました。天理教では死を「出直し」というそうです。何だか天理教って良さそうに聞こえるけど、何か底の浅さを感じなくもない。


■時に

80 : すりこぎ(福島県):2010/02/02(火) 13:46:38.50 ID:ovZCl/G6
勿来
これ読めない奴は福島県民じゃ無い
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県民じゃなくても読めるのだから大した問題ではないな、と思った。どっちかと言えば「亀戸」とか「高輪」或いは「高野」の方が読めそうで読めないから困ったものである。なお、同じスレがまとめブログに載っており、そのコメントで「北区や板橋、江戸川、葛飾とか、そっちこそ本当の東京だろ。都心なんか地方人しかいない」と言っていたが、正直に申し上げてそこにいるのは土着の関東人というか、下町と言うか、田舎と大して変わらない人間と言うか……いや、だからどちらかと言えば好感を持てる人たちだけど所謂「東京」じゃないし、別に気取れるものじゃないよね。生粋の、とか本当の、なんて話はどうにも胡散臭い。

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所謂一つの凡夫。通称将軍様(@Kevtaro)。来年は法科大学院に通うらしい。でも法学は別段得意ではなく、政治の話をすることを好むとか何とか。そんな無知蒙昧クラスタです。啓蒙クラスタ尊敬しています!


相互リンクとか何だかテキストサイトをやっていた頃を思い出すようで懐かしいと同時に憧れなくもないよね。


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