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―主よ、何処へ行かれるのですか? ―万軍の主って正しく将軍様のことだよね。
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 ■現代ビジネスなるWebサイトに「東大までの人と東大からの人」という、割合うそ臭い記事がある。割合うそ臭いというか、大体嘘っぱちというか、東大でだめだった人の被害妄想の塊であった。曰く灘・開成・筑駒といった「メジャーリーガー」じゃないとインカレサークルに入って彼女作ってといった生活は出来ない、とか、オリ合宿の時点でそうした「メジャーリーガー」は既に友達になっている。何故なら彼らは塾が同じだったり模試の上位者として名前が載っているからであるetc...一目見て、そういうこともたまにはあるかもしれないが、といった程度の話であることは明らかだろうと思う。灘・開成・筑駒と比べると我が東大寺学園などマイナーリーグといったところだろうけども、私とて一応インカレサークルに入り、何となく彼女を作り、何となく分かれて更に何となく法科大学院にも合格した。記事の中では後期合格組を「裏口入学」と、地方出身者を「車輪組(ヘッセの小説に因む)」揶揄する「メジャーリーガー」にも言及されていたが、それも確かにないとは言わない。というか、現にそれに近い扱いを受けたこともある。

■しかしながら、そうした問題は畢竟自分の意識の持ちようではなかろうか。そうした風評など実のところどうでもいいものであることに気づかねばならない。自分の人生なのである。道は自分で探さねばならないし、規範もまた自分で打ち立てねばならないのだ。そうして周りをビクビク見ているようでは、なるほど「東大までの人」というか「東大入学までの人」となるだろう。何となれば、東大に入ることなど誰でも頑張ればできることだからである。また、後期入試を「裏口」と評するのは自由だが、果たして「メジャーリーガー」が培ってきたと記事の中で書かれている「基礎学力」とやらは大学の講義の理解に本当に影響を与えているのだろうか。断っておくが、私は大学の講義で「教授が何を言っているのか解らない」という気分になったことはない。「教授が何を言っているのか判らない」ことはあったが。そうしたことは別段大学入試で培われるものでもなかろう。無論、そうした能力がある人が大学入試で有利になることは間違いないとは思う。しかし、そうでなくとも前期試験に合格するのであれば、相関の度合いは低下するであろう。

■と、いった話をしながら
「時にメジャーリーガーのSさん、インカレサークルでリア充しましたよね^^」
「黙りなさい。そんなの全然してねーよ!」
みたいなやり取りが行われる辺り、緑会室は2軍にも実に居心地のよい場所らしい。それとも、緑会を一歩出れば、そこには自尊心に満ち溢れた皆様方の熱いdisが吹き荒れているのだろうか。たったの18年間の業績を誇らねばならない人というのも、東大までの人のように思えるのは気のせいだろうか。多分、東大までではない人は、下を見ている暇もないのではなかろうか。翻って、下を見て喜んでいるのは「東大入学までではないけど東大卒業までの人」なのかも知れない。無論、その間に「充実した日々」を過ごしていれば、コネやら何やらもあるだろうから、一定の評価は受けるのだと考えられるが、しかしそれは―こういっては何だが、並の東大生であり、そして並の東大生は、どの集団でも中位層がそうであるように、並の人間なのだろう。ただ、平均が高いので少々マシといった程度で、東大卒ということが足を引っ張る場合も考えると、どこまで有利に世の中を渡っていけるのか、少々疑問がないわけではない。

■記事から伺えるのはこんなところだが、冒頭に記したとおり、あの記事は実に疑わしい。並の人間が適当に書いたものじゃないのかなぁという気がしないわけでもない。なるほど、凡夫の思うところの東大生だ。そりゃ凡夫であっても何の不思議はない。東大生といってもこんなんだぜ!ということを記事にしたほうがよっぽど受けが良いだろうから、こういう形で「東大生なんてこんなもの」と表現してみるのもまた受けるのだろう。その発想はちょっと感心するものがあるが、何れにせよ妄想の世界の話であり、読者層が垣間見えるように思える。


■ところで自分のごく親しい人が日刊ゲンダイの信奉者になってしまったときはどうすればいいんですかね^^

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■実のところ私は少々恥ずかしがり屋で、本屋の店員に探し物をしている旨を伝えるのも中々言い出せない。今日も今日で在庫があることは判っているが店頭に並んでいない本を持ってきてもらうのに20分くらい掛かってしまった。しかし、そんなことを言ってもあまり信じてもらえないかもしれない。何となれば、一方で私はお喋りだし、気づいたら初見の相手に大演説をぶっていたりすることは皆さんご承知の通りであろうと思うからである。


■だが、私はやはり恥ずかしがりなのだ。いつも同期の人と話すのも最初の一言は多分ぎこちないのではないかと思う。まして他の期の人と話すときはそれ以上に緊張している。併しながら、次の2つの場合は例外である。1つは、仮面を被っているときである。サングラスでも人民服でも何でもいいので、そうした演技に必要なものを身に着けていると、どういうわけか途端に気が大きくなり、好き勝手に話せるようになる。この場合に該当するのは私の卒業式だろう。卒業式の日に私はマイクをジャックし、壇上から20分に亘る演説を行ったが、それは人民服とサングラスという小道具があったので、そうした人間になりきって話すことが出来たのである。もう1つは、話し始めてから暫く経ったときである。一定以上話していると、段々と気分が高揚して、やはり手を振りかざすわ大きな抑揚をつけるわの独演会になってしまうのだ。


■叙上のように何かしらの切り替えがあれば幾らでも話せるし、そのことを私は承知しているから、必要とあれば役になりきって、若しくは実際の役職に則って話し始めることにより問題を解決している。しかし、先の例だと本屋に於いて役も何もあったものではないから―まさか、本屋で長広舌を振るうのが客の役割という人はいまい―どうにも恥ずかしく、為に20分も掛かってしまうのである。そして、話している間はやはり先述の通り気分が非常に高揚しているので、後から思い出すと、自分が話していたという実感が無い。話し終わった直後などは、記憶の方も曖昧である。無論話している間無意識というわけではないので、暫くすると内容は思い出せるのだが、自分でも少々不気味だと思わないわけでもない。事実、後から録音を聞いてみたりすると、これは一体誰だろうと思うこともしばしばある。


■読者諸氏にはこんな経験は無いだろうか。仲間内ではお喋りだと思っていた恋人が、自分と話すとあまり色々話さないのでおかしいと思うようなことは。それは、恐らく「恋人の前で弁舌を振るう自分」というものが想定されておらず、素の自分しか用意していないが故に、本屋の私同様、あまり上手く話せないのではなかろうか。しかし、恋人には恋人なりの、夫婦には夫婦なりの立場というものがあるように思える。そして、どうも世の男達はその切り替えが下手で、よく呆れられるらしい。


■必要があればやるのだから、必要性をよくよく認識せねばなるまい。畢竟全ての人間関係がそういうものなのだろうけども。

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■東京事変のアルバム「大人」に収録されている「手紙」という曲に次のような一節がある。
昔はもっと、季節の過ぎ行く速度が遅く思えていたのに。
近頃何だか速くなるみたい。為すべきことが山積みになる。

時間の感じ方の変化は最近実感するところ。かつて中学入試に向けて勉強していた頃、私の塾の学園長は「夏休みを過ぎると地球の自転が3倍になる」等と言っていたが、本当に最近では昔と比べ、地球の自転速度が上がっているのではないかと思えるほどである。無論、地球の自転は寧ろ潮の満ち干きによって遅くなっており、かつそれは体感できるようなものではないのだが、どうにもそんなことを言っている間に人生が終わってしまうような、そんな気分がしないわけでもない。

■死後はどうなるの?という質問に対し「無に決まってんだろ、宗教なんか信じているのか低脳」という声がある。なるほど、どうにも私も生まれる前のことなど思い出せないし、寝ている間のことも解らないのでそれが正しいように思える。そして、死んでしまえば無意識なので、死に気づくことも無いが故に死について悩むのは愚かだという言葉をエピクロスは残している。それもまたそうかも知れない。

■だが、恐るべきは死後の苦痛なのだろうか。私はそうではないと思う。そんなことより、今ここで物を考えている自分が消えてなくなってしまうのが恐ろしい。もっと言うと、今日好きなウィスキーを飲んで眠りに付いた私がそのまま目覚めない可能性もあるということが恐ろしいのではなかろうか。

■そうした傾向を持つ人は自己愛が強すぎるのだという説もある。しかし、それでは皆はボケてしまうことは平気だろうか。周りに迷惑をかけるから、ボケるのは嫌なのだろうか。それならば、モルヒネを打ちまくって一日中寝かしておけば迷惑でもなかろうから、満足であろうか。恐らくはそうではないだろう。ボケが嫌なのは、自己が消滅してしまうからだと思う。無論、そうではない人もいるだろうし、スパッと終わってしまった方が小気味良いという人もいるだろう。

■人生が悲劇的なのは、それが一度しかないからである。二度三度と生きられるなら、人間はこれほどまでに決断を迫られなかっただろう。しかし悲劇は時に人の心を打つ。人生そのものが至高の価値を持つのも、それが一度切りのものだからであろう。

■「手紙」では他にこのようにも歌っている。
大人になった私達には何時でも答えが要るんだね。
「恐い。」と、惑っている間にも生命は、燃えてしまう。
 多分、一面においてその通りなのだろう。しかし、時間の相手が人生である以上、大人だろうが子供だろうが、本当のところ関係無い。ただ子供は判断材料が少なく、その分残された時間も、決断までに許容される体感時間も多いということなのだと思う。

■私は既に22歳だ。それこそ何かに怯えている場合ではなく、素早い決断が求められている。実に、優柔不断は「命取り」なのだ。そして懸命に死に追いつかれぬよう走り、それでもなおどこかで追いつかれるのだろう。

■それまでは走り続けねばなるまい。だが、一体何処へ向かっているのだろうか。目的など無い、という人も多い。しかし、それはあまりにも虚しい。そして、そのような虚無主義は、自由ではあるが同時に非常に苦しいものである。

■シーシュポスを冥府に残すことを是認するか否か。是認する立場の私としては、畢竟死にそうになりながらも生きねばならず、人生をかけて道を探さねばならないのだと思う一周忌である。

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 ■師走ということで、最近少々忙しかった。学期中もそれなりに忙しい時期があったのだが、それとは少し質の違った忙しさであったように思える。即ち、この忙しさは人間関係による忙しさなのである。ご承知の通り、今月は忘年会が多数開催される。そして、普段はそれほど人付き合いの良い訳でもない私も、この時期ばかりはあちこちに顔を出す。無論、私は飲み会が好きなので嫌ではないのだが、それはそうと調子を合わせる必要も生じるので、やはり一人で勉強するのとは訳が違う。蓋し、私でさえ多少は調子を合わせるのであるから、私より一層空気の読める諸氏に至ってはその苦労を推し量ることさえ困難である。
 
 
■そのような時期であり、疲れることは最早致し方ないと言わねばならないだろう。そこで、私はどうせ疲れるならば、もう少し色々やってもよいだろうということで、今月は実に色んな人に会った気がする。いや、多分実際はそれほど多くの人に会ったのでもないのだろう。ただ、呼ばれたら極力顔を出すようにしたし、多少なりとも普段よりは活発に動いたのと思っている。勿論、普段の態度との比較であり、その絶対量が少ないことは明らかなのであるが、たまにはこういうのも悪くないかと思っている。
 
 
■ところでそれで気づいたのだが、私は家に人を招いたことが殆どない。いやまぁ、彼女などのいる時期は別であるが、それを除くと1年生の頃多少うちに来る人がいたのみで、その後は絶無なのではないだろうか。その理由には、私が他人と会わないこともあるだろうし、部屋が散らかっているので誰かを呼ぶわけにもいかないということもある。しかし、たまにどんな家に住んでいるのか問われることもあるので、来年は誰かを呼べる家を目指そうかとか、そんなことを思う年末である。それと同時に、もう少し人付き合いを良くしようとも思う。尤も、優先すべきは法学の勉強であることは、火を見るよりも明らかなのであるが、その範囲で。
 
 
■つまりあれです。法律の勉強もせず大掃除もせずに酒を飲むのは止めましょうって話です。

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 ■近頃驚くべき事態が発生したり、忘年会で酔っていたりで更新していなかった気がする。ここでその驚くべき事態について記すことが出来ないのは本当に残念であるが、それはそうと学期末である。今学期は最悪の始まり方をしたように思えるが、月日の経つのは本当に速いものだなぁと思う。ついでに、私の記憶が薄れるのもこれまた速いなぁなんて思っている。年ですかね。

■昨日は国税庁の年末講演会が緑会・国税庁共催で行われた。講演の内容は移転価格税の課税権を巡る国際間交渉であった。正直な話、国税庁と法学部と言うのは繋がりが見えにくいところであるのだが、講演の内容は非常に興味深かった。グローバル化の進展に従って、課税権を国同士が奪い合うなんて話は知らなかったし、更にその問題が企業の中国流出へと繋がっていたというのもはじめて知った。そうした面白い講演であったのだが、やはり国税庁はややマイナー(本当は決して無くならない有力官庁であるが)なせいか、人の集まりは漸く二桁に乗るといったところで、もう少し来てくれた方が良かったかという感じである。もっとも、普段緑会が行っている講演会よりは多いので、こんなものかなぁとも思った。なお国税庁によると、官庁訪問はいつでも歓迎とのことであった。国税庁は中々大きな役所であるし、候補の中に加えてみては如何であろうか。

■その後緑会の忘年会を行い、どういうわけか緑会の外交部長と大蔵大臣、行政刷新相に鍋奉行が決定された。行政刷新相の副委員長はしきりに「外交部が仕事をしない。仕分けろ」と主張していたが、将軍様である私の一存により外交部長の留任が確定した。ちなみに外交部長は中国人である。将軍様がいて閣僚に中国人がいて、おまけに大蔵大臣がいるとか何処の国なんだよという感じだが、まぁ日本の行政刷新相も中国系だし気にしないで頂きたい。ああ、今日も売国奴という罵声が聞こえるような気がする。実に良い気分だ。

■そんな売国奴は、明日天長節の一般参賀に出かけてきます。

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所謂一つの凡夫。通称将軍様(@Kevtaro)。来年は法科大学院に通うらしい。でも法学は別段得意ではなく、政治の話をすることを好むとか何とか。そんな無知蒙昧クラスタです。啓蒙クラスタ尊敬しています!


相互リンクとか何だかテキストサイトをやっていた頃を思い出すようで懐かしいと同時に憧れなくもないよね。


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